村上春樹 1Q84 第3部
2010.4.6
村上春樹氏:「1Q84」を語る 「来夏めどに第3部」 – 毎日jp(毎日新聞).
やはり、です。出版されるようですね。第三部が。来年初夏となると、私の中では相当早いなー、というのが実感です。
緊急の解説本が出たり、ブログや雑誌が様々な特集を組んだけど、やっぱりハルキチは「批評のたぐいは全く読んでいない」のだそうです。何かを恐れずになしとげるには、外部の情報を遮断する時期というのも必要なのでしょう。
本人曰く「リトル・ピープルとは何かについて」見定める必要がある、と。つまり自分でもなんだか分からないのでしょう。そういう感覚って非常に分かります。
最初から分かっているものを何年にもわたって執筆できるものではないですよね。だから、読者としても判断をずーと留保しておくのがいいのじゃないかな。早急に「リトル・ピープルとはこれだー」とか決めてしまわないでさ。
ポイントとしては、
1.ドラマツルギーの中でのピストルの役割。
つまり果たして、青豆が生き残ったとして、天呉には会えるのか。会えない場合、
2.天呉は自分が生き残ったことについて、それは青豆が犠牲を払った結果であるという事実を知ることができるのか。つまり月が二つある風景はそのままなのか。1984には戻ってこれるのか。

東山魁夷「二つの月」
などなど、です。
特に注目したいのは「羊をめぐる冒険」や「ねじまき鳥」から続く悪の系譜です。
牛河がエージェントとなってその姿をおぼろげながら現す戦前、戦中、そして戦後の負の記憶。
ねじまき鳥において、いままで無垢な一個人であった主人公がバットを持ってギターの男に暴力をふるったように、「劇的な価値の転換」が待ち受けているように思います。宮脇家の枯れてしまった井戸に入るように、天呉はどこかで暴力をふるう必要がある。
あるいは、柔道をやっているところから受け身的なパシヴァらしい行為をなすのかも。そうしないと負の記憶(リトル・ピープル的なもの)に対抗できないですからね。
とと、何のことを言っているのか不明な方はメールやコメントなどでご質問ください。













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